その阿修羅像が2009年3月31日から6月7日まで、
上野の東京国立博物館に特別展示される。
4月5日(日曜)、昼少し過ぎに東京国立博物館に着く。
阿修羅像を展示している平成館の前には、すでに大勢の人が行列を作って待っている。
その行列の最後尾に並ぶと、直ぐに係りの人が「日傘をどうぞ、無料です」とすすめてくれる。
今日は、春になったばかりなのに日差しが強い。
一緒に行った妻と二人で一本借りる。
入館するまでの約1時間、日傘をさして、満開の桜を見ながら待った。
興福寺の阿修羅像は、今日まで千年という長い間、
様々な人達によって受け継がれ、護られてきた国宝だ。
博物館では、その国宝阿修羅像を、いつもと違う方法で展示している。
通常、国宝クラスの仏像は万一の事態に備えて厚いガラスケースで保護して展示することが多い。
今回の展示では、阿修羅像を保護するガラスはなく、阿修羅像を直に観ることができる。
また360度、どの方向からでも観られるように、阿修羅像を展示室の中央に置き、
しかも、手を伸ばせば触ることができる程、近くに置いている。
展示室は、天井と壁が黒く塗られ、照明を落としているので薄暗い。
その薄暗い中、ライトアップされている阿修羅像は、少し離れたところから見ると、
夜空に浮かんでいるようにみえる。
近くで阿修羅像を観るために、また列にならぶ。
阿修羅像のそばでは、少しずつ移動しながら、まず後ろから観て、次に横から、そして正面から観る。
正面で観ていると、係りの人から「立ち止まらないで下さい」と声を掛けられる。
この掛け声に押されるようにして阿修羅像から離れる。
ひとまわり観たが、観たりない気がして、もう一度列に並ぶ。
その後さらに行列に並び直し、結局、阿修羅像の周りを三周し、三回観た。
仏像を観るのに三回も行列に並んだのは初めてだ。
この阿修羅像は、今までに観た仏像とは何か違う。
興福寺の阿修羅像は、顔が三つ腕が六本、三面六臂の仏像だ。
仏像がこのような異形の姿をしているのは不思議なことではない。
けれども、興福寺の阿修羅像の顔立ちは不思議だと思う。
一般的な仏像の顔立ちとは、だいぶ違う。
仏像の顔というより、現代の日本人、それもかなり美少年(少女だという人もいる)の顔をしている。
千年以上も前に作られた仏像がなぜ現代の美少年の顔立ちをしているのだろう。
不思議だ。
興福寺の阿修羅像の一番の特徴は、その表情だと思う。
阿修羅像の表情は、実物を近くで見ないと分からない、微妙なものだ。
少し眉を寄せ、キリッと引き締まった優しい眼に、かすかに涙を浮かべているようにみえる。
怒っているようにみえると言う人がいるし、悲しんでいるようにみえると言う人もいる。
懺悔している姿だとも言われている。
興福寺の阿修羅像は、光明皇后が母親の1周忌供養の菩提を弔うために造像されたそうだ。
立ち姿で合掌している阿修羅像の表情をすぐそばで観ると、
阿修羅像は、千年もの間ずっと一心に何かを願っているかのようにみえる。
その願いは、成就することのない深く悲しい願いなのだと思う。
像を作らせた光明皇后の願いなのか。
像を作った仏師の願いなのか。
それとも、・・・・。
興福寺の阿修羅像は、この願いがあって、今日も立ち姿で合掌している。
この願いの姿が、同じように願いをかける人の心を打つのだと思う。
手をあわせ 奈良の都に 千年の
時空を超える 阿修羅の願い
はんだ